その日、本郷の店にいったら、客は誰もいなくて、僕だけだった。
今日も園田にかなり責められた。「そこまで言わなくてもいいのに」そう思ったけど、口に出せなかった。園田のいうことは相変わらず不条理だ。
「マネジメントをもっと勉強しろ。マネジメントにはコツがあって、うまくやる技術がある。それを30くらい言えるようになれ。」
そう園田は言った。でも僕にはマネジメントに、そんなにたくさん技術があるとは思えない・・・そんなことを考えながら会社を出た。
気づくと、自然に丸の内線に乗っていて、本郷三丁目の駅で降りていた。
***
「いらっしゃい、顔色が悪いな」
僕の顔を見たマスターが言った。
「ギネスとポップコーンください」
「了解」
マスターが厨房に入る。しばらくしてビールとバスケットに入ったポップコーンを持ってきたので、僕はゆっくり話しかけた。
「マスター、仕事のマネジメントにも技術みたいなものがあるのかな。僕の上司が、『コツとか技術とかを30くらい言えるようになれ』と言うんだけど、僕にはよく分からない・・・」
マスターは黙ってギネスをグラスについでいたが、それが終わると口を聞いた。
「そうか。マネジメントのコツねえ・・・」
今日はまだ時間が早いからマスターは酒を飲んでいない。この人は、酒さえ入っていなければ、きわめて冷静で論理的に話をする。
「そうだな・・・せっかくだから、高田さんのオーダーにぴったりの裏メニューをお出ししてみようか。」
そう言うと、マスターは厨房の奥から紙を持って帰ってきた。
「ある不条理な上司と部下の話をしようと思う。」
そう言って、マスターは、ゆっくり話し始めたのだった。
***
もう、かなり前の話になる。ある会社の販売企画部門で働く男がいた。その会社はA社、男の名前は、仮に豊田としておこう。
豊田はそのときまだ十分に若かった。A社は東京の準大手の健康食品製造会社で、ビタミン、ウコン、カルシウムなどを配合して錠剤を作っていた。いわゆるサプリメントの製造だ。
実は、豊田はそのときまで、販売企画ではなく、材料の仕入れ部門で働いていた。入社してから6年ちょうどたったときに、彼は人事異動で、仕入れから販売に転じたわけだ。
この会社は、7年で主任に昇格し、管理職になる仕組みだったから、豊田ははじめての転勤ではじめて管理職になった。
仕入れの仕事では、管理職でなかったから、上司の下で担当者の業務を行っていて、上にたって仕事をしたことはなかった。豊田は負けん気が強く、何でも調べて理解するので、仕事も速く、上司たちからの評価は高かった。
豊田の最初の仕事は、新しいビジネスモデルの実行プロジェクト管理だった。
A社の社長は、業績が頭打ちで悩んでいた。サプリメント市場は、大手の会社やビールや食品会社のセカンドビジネスとして競争が激しい上、ネームバリューが高いか、100円ショップみたいに極端に安くないとビジネスがへこむ。そんな状態だったからだ。
A社は、中途半端だったんだ。派手に、芸能人や元プロ野球選手を使ってプロモーションをする余裕もなかったし、かと言って価格競争では100円ショップにかなうはずもない。
でも、悪いことばかりでなく、最も大事な商品自体には自信があった。A社の商品は品質や効用には定評があって、一度使った客は、指名買いするほどの製品力があった。
でも、そもそも、販売するコンビニやスーパー、薬局、薬店からの知名度がないから、商品を置いてもらえない。営業人材も多くはないから、販売店営業もできなかった。だから、中途半端で行き詰っていた。
そこで社長は、当時や流行りはじめた通信販売に目をつけた。それまでは、メーカーから販社、それから客だからBtoBtoC、これでは客との間に販社が入るから客の情報・・・効き目や使いやすさ、価格の満足度などをメーカーが知ることができない。
だから、リピート客化してライフタイムバリュー・・・一人の顧客から生涯に渡って得ることができる価値を高めることができなかったわけだ。
A社の商品は一度使えばファンになるから、客とリンクできればリピートにつながると思ったのだ。
そこで、ダイレクトに客にアクセスするBtoCを選んだ。大手でなくても、ネット通販ならこれが実現できる。まあ、社長はそれをコンサルタントから聞いて「よし、これだ」と思ったんだ。
でも、これに多くの社員が困惑した。特に大きく動揺したのは、受注業務を受け持つ販売事務課と新しい販売受注インターネットシステムを担当するシステム開発課だった。でも、社長はトップダウンでプロジェクトを進めた。
社長は3代目社長で、婿養子だったから焦っていた。自分の代で会社を倒すわけにはいかないからな。辛い立場だ。
焦っていろいろなセミナーに顔を出すようになって、懇意になったマーケティングコンサルタントにアドバイスされて、Webによる通信販売に傾倒して突っ走るようになったんだ。
このときに、コンサルタントが紹介して入社したのが矢野という男だ。社長は彼を入社させてプロジェクトマネージャーを担当させた。これが、豊田の上司だった。矢野は豊田にプロジェクト計画と、作業の進捗管理・・・まあ、いわゆるプロジェクトスタッフを担当させた。
一言で言えば、豊田の仕事は新しい通信販売業務を事務方に設計させることだった。豊田は、これを聞いて困ってしまった。仕入れ業務は詳しかったが、販売手続きや商品配送の流れは分からなかったからだ。皆目検討もつかないと思ったのだ。
確かに仕入れでも事務設計はたくさんしていたし、それを事務ラインに実装することもしていた。だからそういう経験と知識はあるが、肝心の受注、発送などの事務の流れは分からない。
でも、豊田は、「マネジメントと言っても所詮、スケジュールを事務方に書かせて自分はトレースを行うだけだから、まあ、それなら何とかなるな」思ったのだった。でも、この認識が間違いであることを、豊田はあとから思い知ることになるのだけど・・・
豊田が転勤した初日、矢野は明日までに「管理資料を作っておけ」言った。豊田はまだ事務方にスケジュール、検討タスクももらっていなかったけど、「まあ、事務方に聞いてから駄目なら、そのように矢野に言えばいいや」と思って簡易に「分かりました」と答えてしまった。
事務方に電話をして担当者を確認すると小田という係長が担当だという。そこで、小田係長に聞いて見ると、「まだ、何も」ということだった。
翌日、矢野に、そのまま答えたら、豊田は矢野から酷く叱られた。矢野は怒って「全ての責任は君にあるから、君が考えて進めていけ」と責められたのだ。
それから豊田は大変だった。事務方に検討作業を進めさせる必要があったからだ。矢野は厳しい人で、「作業を進めること」は全て豊田の責任と言い、検討を進める方策を豊田に厳しく求めた。
豊田は「なぜ俺がそこまで」と思ったものの、矢野にそんなこと言ったらもっと酷くされると思って言えなかった。不満な気持ちで仕事は上手く進むわけがない。豊田と事務方の人間関係は最悪になっていった。
豊田が、事務方のところに打ち合わせ行って「検討作業表を来週までに作ってください。」と言っても、事務方は締め切りを守らない。無視だ。事務方は販売業務の知識がない豊田を煙に巻いた。
なにかと理由をつけて進めない。作業を依頼した担当者が、翌週の打ち合わせにも出てこなくなったり、現業が忙しいと言い訳するようになった。
これを矢野に言うと相変わらず豊田が怒られた。「君のマネジメント力の欠如が問題だ」と言われた。これが数回に渡って繰り返された。
豊田は遂に耐えられなくなった。「どう考えてもおかしい。事務方が仕事をしないのに、自分ばかりが責められるのは不条理だ」と思ったんだ。そして、我慢ができなくなって、矢野に文句を言うことにした。もう、けんかになってもいい。飛ばされてもいい。こんな会社なんか辞めてもいいと思った。
豊田が矢野の席の前に行き、睨み付けてまさに文句を言おうとした時だった。矢野は豊田をみて、静かにこう言った。
「お前が今、何を考えているかあててみようか。俺の言うことを不条理と思っているんだろう? でも、俺は止めない。お前がこれを不条理と思っている限り、お前の成長はありえないから」
豊田は気勢がそがれてしまった。そして、矢野はさらに言った。
「でも、駄目だったか? 本当に嫌ならもう言わない・・・でも、もしお前が、成長したいと思うなら、これを不条理と思ってはいけない・・・まあ、一日じっくり考えろ」
豊田はショックでその日は仕事が手に付かなかった・・・彼は一生懸命考えた。会社でも、帰りの電車でも、家でも、寝る直前まで考えたんだな。翌日の朝、矢野の席の前に行った豊田はこう言った。
「やはり僕は成長したいと思います。だからもう、不条理とは思いません。だから、僕にマネジメントを教えてください。」
そのときに矢野が豊田に話をしたのが、『緩いマネジメントを防止する8の習慣』だ。この紙に書いてある。
緩いマネジメントを防止する8の習慣
(1)設定した目標を安易に下げない。
(2)誰の責任で何の作業をおこなうのかを常に明確にする。
(3)本当の進捗状況が分かるように具体的に質問する。
(4)問題を正しく認識できるような聞き方をする。
(5)状況把握と問題解決の話し会いを一緒にしない。
(6)問題を正しくターゲッティングする。
(7)問題や作業遅れはいつまでにやるのかを必ず日付単位で管理する。
(8)解決策を関係者で共有できるようにする。 |
(1)設定した目標を安易に下げない。
人は、目標が達成できなそうだと目標を下げてしまいがち。「それは難しい」、「解決できない」と思い込み、安易に目標が下がって妥協する癖がつく。「問題は必ず解決できる」、「解決できないのはアプローチが足りないから」と強く意識するように、自分も、メンバーも徹底するようにする。
(2)誰の責任で何の作業をおこなうのかを常に明確にする。
「作業を誰が、いつまでにするのか」という作業責任を曖昧にすると仕事は進まない。必ず誰に何の責任があるのかを明確にして、確実にトレースする。
(3)本当の進捗状況が分かるように具体的に質問する。
作業の進捗を確認する際は、具体的に何がどうなっているのかを確認する。こうすることで、本当にできているのか、できていないのかがわかる。
(4)問題を正しく認識できるような聞き方をする。
問題が発生した際、当事者への確認のしかたが悪いと正しく問題を把握できない。「何が問題なんだ? 何をやっていたんだ!」などの高圧的な聞き方はメンバーを萎縮させるので、真実が把握できなくなる可能性がある。
(5)状況把握と問題解決の話し会いを一緒にしない。
状況把握はスピードや事実情報の収集を重視する。まず、状況をしっかり掴み、それとは別に問題解決に向けた話し合いをする。
(6)問題を正しくターゲッティングする。
何が原因なのか、何がまずいのかを正しく把握しなければ、問題解決の方向性がずれてしまう。大事なのは、正しく問題を掴むことである。
(7)問題や作業遅れはいつまでにやるのかを必ず日付単位で管理する。
一度できなかったことや、問題が発生して解決が難しいことは、ズルズル遅れる恐れがある。このような場合には誰の責任でいつまでに何をするのかを明確に管理することが必要だ。
(8)解決策を関係者で共有できるようにする。
考えた解決策は共有ノウハウとして、次回以降も使えるようにマニュアル化したり、規定(ルール化)する。このように運営することで、ノウハウが増えて問題解決ができやすくなるためだ。
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自分が悪いわけではないのに、「君が悪い」と失敗を責められる。こんなことをされたとき、人は「不条理」を感じるものだ。
人は失敗をしたとき、それが自分の責任なら、誰に責められても我慢ができる。そして、次からは「絶対失敗しない」と強く認識することができる。この意識が人を成長させるんだ。
でも、「不条理」の場合はそうはいかない。自分の責任でないのに誰かに責められれば「腹をたてる」、「恨む」、「やる気をなくす」といった感情に支配される。そして、二度とこんな酷いことは嫌だと思うようになる。「不条理」は人を不満にさせる。
自分に責任があれば人を成長させるが、自分に責任がないと思い込めば不条理で、これは人を腐らせる。でも、実は不条理と条理の境界は曖昧だ・・・本当は自分の責任なのに、「自分の責任でない」と思い込めば、そこに不条理の感情が生まれてしまうからだ。
特に未熟な人の場合は、甘い、誤った認識が「不条理の感情」を産んで人の成長を阻害することがある。「不条理」と思っている限り成長はない。「全て自分に責任がある」と考えられるようになってはじめて、リーダーの動きができるようになる。
これを矢野は豊田に教えたかったんだ。
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なあ、高田さん、部下も辛いかも知れないが、嫌なことを言い続けなくてはならない上司も辛い。好きで厳しいことを言うわけではない。部下を好んで苛める人間は世の中にはいないと信じたい。なあ、高田さん。違うか?
この紙は高田さんにあげるよ。あなたの今の立場、心の状態を推測すれば、これはよい行動指針になると思う。これがうちの裏メニュー「デンキプラン」さ。デンキのように君の心と頭にビリビリきたかな?
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僕はずっと黙ってマスターの話しを聞いていた。話が終わると、マスターは厨房に入ってしばらく帰ってこなかった。
今の自分と同じような境遇だった人がいる。
「不条理」と「成長」・・・この話は、この後も僕の頭から離れなかった。上司の園田も、この話の中の矢野のような考えを持っているのか。それは僕には、今のところは分からない。
でも、もしかしたら・・・そう思うと、あんなに嫌だった園田はそれほど悪い人ではないかも知れないと思えてきたのだった。(次回へ続く)
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