*1*
「ある話をしよう」
こう言ってマスターは話しはじめた。
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もう、かなり前の話になる。ある中小のキャンプ用品メーカがあった。まあ、Z社としておこう。出てくる名前も仮名とするから、そう思って聞いてほしい。
Z社は業績が悪かった。キャンプ用品は性能はもちろん、独自でオリジナルでないとすぐ価格が崩れてしまう。近頃は、中国やアジアの低価格商品も多いし、Z社にはオリジナルな商品がなかったから、特徴がない、中小メーカーだからブランド力もない。だから売れないのは当たり前だった。
でも、あるとき社長が代替わりして、息子の社長が奮起した。頑張ってZ社オリジナルな独自商品を開発し、全国展開しているキャンプ用品専門店チェーンや、神田小川町のスポーツ用品ショップに、扱ってもらう交渉をすることになったんだ。
このときに、提案チームのリーダーだったのが、係長の大宮という男だった。その上司の課長は立川といった。
大宮は、商品提案チームのリーダで、部下に佐川を任命した。佐川は当時25歳。頭が良いとの噂だったが、不真面目なところと、態度にやや問題があったんだ。長く製造畑で働いていたので、技術は得意だったが、企画とか、プレゼンテーションは駄目だった。
いわゆるビジネススキルや、「売る」ための知識や、スキル・・・セールススキルがなかったんだけど、自分は優秀と思い込み、優秀なら何をしても許されると思っているところがあった。非常に扱いの難しい社員だったということだ。
でも、そんな奴は誰からも嫌われる。嫌われたら最後、誰からも仕事を教えてもらえなくなってしまう。だから、佐川には変わってもらわないといけないと上司たちや先輩たちは思っていたから、大宮と立川は今度の仕事は丁度よい機会だと思ったんだ。
大宮と上司の立川課長は、事前に二人の役割分担と育成手順を作ることにした。大宮と立川は今までも、何回も若い人を育成した経験があって、お互いに役割は理解できていたんだな。
佐川は企画や営業の仕事ができるということで、大変喜んで、意欲的だった・・・でも、それは仕事を始める前までだった。スキルがないから苦労した。提案書を書けば駄目出しされる。プレゼンテーションの段取りを説明しても、駄目、駄目ばかりだ。
特に厳しかったのは、課長の立川だ。何度も、何度も佐川に資料の書き直しや提案シナリオの変更を命じてその都度細かく修正を指示したから、佐川はすっかり消沈した。下を向くようになって、次第に明らかに元気がなくなっていったんだ。まあ、無理もないけどな。
ある日、これまでになく立川課長に厳しく責められた佐川は、大宮のところに来て、うつむきかげんにこう言った。
「本当に申し訳ないのですが、資料の構成を考えてください。私はその内容をドキュメント化するだけにさせてください。もう、いいです・・・」
ここが大きなポイントだった。佐川の精神状態は限界だった。臨界点だったんだな。そして、大宮は佐川を見ながら、こう言った。
「俺がやってもいいけどそれで本当にいいか?どちらでもいいよ。お前決めてくれればいい。」
もう一度、佐川に答えを求めたんだ。
佐川は一瞬はっとした。そして、少し考えた後「自分でやるのでまた考えを聞いてほしい」と言った。それから大宮は、佐川につきっきりでサポートした。ヒントを与えながら考えさせて、それでも、最後まで佐川に自力でやらせたんだ。
1週間後に完成した資料と提案シナリオを見た立川課長、佐川を褒めた。これは、本当に出来がよかったからで、嘘じゃなかった。本当に、出来がよくなっていたんだ。これを聞いた佐川は、よっぽど嬉しかったのだろう。涙を流して喜んだ。
それからは、佐川は大宮を慕うようになった。それまでの仕事のスタイルを変え、このとき上手くいった仕事のやり方で仕事を進めるようになったんだな。
佐川が大宮から学んだのは,スケジューリングの考え方、資料の表現方法、説得力を持った話し方、質問の仕方や提案のシナリオ作り方などだ。それを、しっかり教えたんだな。大宮は。
さて、立川課長と大宮の役割分担はどういうものだったか。課長は佐川を追い込み、苦しませる係、大宮は佐川を助け、元気付け、サポートして、ノウハウやテクニックを教える係だった。
人は、苦しんで、追い詰められたときに、はじめて自分の無力さに気付く。佐川は未熟だったが、その自覚がなかった。自分の無力さを分からない人ほど、危ないものはない。学ばないし、他人を傷つける困った人材になっていまうんだ。
人には、慣れた行動パターンがある。いままでのやり方に固執し、新しい、よいやり方を受け入れないんだ。だから、佐川は最初新しい職場で仕事ができなかった。でも、追い詰められることで、気持ちが変わった。だから、大宮の教える仕事のやり方を受け入れた。
自分のこれまでのやり方に固執し、新しいものを拒む心理的壁のことを「メンタルブロック」と呼ぶ。大宮と立川は、佐川のメンタルブロックをどうしても壊さなくてはならなかった。だから、追い詰めて、臨界点を超えさせ、佐川を変えたんだ。
これは、虐めでもなく、パワハラでもない。佐川の成長のための教育だった。
*2*
正しく「教える」ためには、教える側が教わる側に配慮しなくてはならない。一方的では駄目なんだ。相手の性格、知識レベル、経験はもちろんのこと、教わる側の心理状態や理解力などの項目に配慮しなければならない。
つまり、教わる立場で考えて工夫しなければならない。佐川のケースはどうだったか。大宮は教える立場として、佐川に絶対の信頼感を与えなければならないと考えた。大宮の言うことを聞けば、仕事が上手くいくという感覚を、佐川に植え付ける必要があったのだ。
それを行なうために立川課長は嫌われ役の「追い込み係り」をした。佐川は、立川を嫌った。できるだけ会いたくないし、話をしたくもなかったはずだ。だから、大宮の方に助けを求めた。
大宮に助けを求めた以上、佐川は、大宮の言うことやアドバイスを受け入れざるを得ない。そういう心理になるんだな。
こういうのを一貫性の法則と呼ぶ。結果的に、大宮と立川は、佐川の人間性を強制するために、彼の心理状態をコントロールしながら、教えるための環境を作り出していった。
正しく教えるためには、(1)目的を持って準備する、(2)教えるとこうことに適した環境を作り出す、(3)教える相手の立場で考え工夫することが重要になってくる。
場当たり的では駄目なんだ。心理的な必然を利用し科学的に行うこと、最も成長させやすい状況を作り出して行うことが必要になる。真田、高田さん、正しく教えるには、こういうことが大事なんだ。
*3*
僕はずっと聞いていたが、気付くと真田氏は眠っていた。呑みすぎたのだろう。少しいびきをかいている。真田氏は寂しいのかも知れない、だからマスターのところに来るのかも知れないと思った。
「高田さん、こいつを頼りない、優秀でない人間だと思ったろう」
「いえ、そんなことは・・・」僕は答えた。
「いいんだ。顔にYESと書いてある・・・でも、それは正しくない。真田は本来優秀だ。会社の他の同期連中よりも・・・おそらく、2年、3年先輩の社員たちよりも。だから、俺の部下にした。」
僕は黙って聞いていた。
「本来優秀なのに、そうではなくなった。今は能力が低いとみなされているらしい・・・その原因は、俺にある。俺が、真田をこんな目にあわせたんだ。」
「どういうことですか?」僕は訊いた。
「真田は入社してから3年くらいは非常に評判が悪かった。優秀だったが、人を馬鹿にしていたところがあった。だから、真田を俺が面倒見るようになった。俺ならコイツを変えることができると思ったからだ。
俺は真田に高度なビジネスプランニングやマネジメントを教えた・・・それは厳しく指導したよ。真田は最初は不満タラタラだったけど、次第に俺に懐くようになったんだ。俺は本当に真田に厳しくしたけれど、コイツは本当に頑張って耐えた。
先の話は、俺と真田の話だった。俺が大宮、真田が佐川だ・・・でも、真田には俺流のやり方を教えすぎた。自分と同じスキルを持たせようとしすぎてしまった。それが、結果的に真田に辛い目をあわせた・・・
それでも、俺がずっと真田の上司だったら、それでもよかった。でも、俺は会社を辞めた。真田は一人になってしまったんだ。そして、真田にはいくつかの問題が残った。」
「問題?」
「そう、問題はいくつかあった。その一つは、高度なことは教えたが、基本を教えていなかったことだ。
会社では、歳相応の仕事のやり方がある。若いのに老獪だったり、小ざかしいテクニックを使う奴は嫌われる。若いなら相応のスタイルがある・・・キチンとスケジュールを作り、人にものを頼むときは、心からお願いをする。協力してもらったら、素直に頭を下げる・・・これが、普通の態度だ。
でも、俺は真田に「交渉術」や「人を引っ掛ける技術」、「説得術」ばかりを教えてしまった。だから真田は俺以外の上司や先輩に嫌われた。「仕事のやり方が歪んでいる」ということでね。俺から言わせれば、そんな技術がない、あの会社の上司や先輩が駄目なんだが・・・
すっかり孤独になった真田は、俺のところに頻繁に来るようになった。だから、俺は真田へのの罪滅ぼしのつもりで、真田に正当な仕事の仕方を教えている・・・」
「他には、どんな問題があったのですか?」本当は、こういうことを訊いてはいけないと思ったが、僕はどうしても訊きたかった。
「それは、おいおい知ることができると思う。今日はもう遅い。」
マスターは店の収納棚を開けてブランケットを取り出した。それを真田氏の肩にかけた。
「高田さん、前にあなたは色々不満を言っていた。でも、俺は、君の上司にも考えがあると思うんだ・・・まあ、これは別の機会に話すことにしよう。そうだ、後で真田にも渡すんだが、高田さんにも渡しておくよ。今日のテーマは『教える』だ。
マスターはそう言って、厨房に入り、紙をもって戻ってきた。
「正しく教える9つのコツ」
(1)教える前に「なぜ学ぶのか」を伝えて考えさせる
(2)最初に「できない」ことを自覚させる
(3)途中や最後にテストや発表などの「アウトプット」を絡める
(4)教える前にミッションを与える
(5)たくさん質問する
(6)自分が教わったことを整理して他のメンバーに教えてもらう
(7)「なぜ、そうなっているか」を徹底的に考えさせる
(8)考えたことを紙に書かせる
(9)毎日継続的に教える
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(1)教える前に「なぜ学ぶのか」を伝えて考えさせる □□□
脳科学者によると、「脳は目的を強く意識することで活性化する」。「絶対試験に合格したい」「覚えないと落第する」などの目的がある場合とない場合を比べると、前者のほうが学習効果が高くなる。教える側はまず、本人に「なぜ学ぶのか」を正しく伝えなければならない。
(2)最初に「できない」ことを自覚させる □□□
新しいことを教える場合には、学ぶ側に「それが自分には『できない』という自覚」を持ってもらう必要がある。自分ができることは他人に教えてもらう必要がないので、どうしても心理的に反発してしまい、学習意欲が下がる。例えば、最初から教えようとせず、まずは本人のやりたいように仕事をさせてみよう。その上で「失敗した時」「うまくいかない時」を見計らって教える。
(3)途中や最後にテストや発表などの「アウトプット」を絡める □□□
理解したり記憶したりするためには、「アウトプット」が欠かせない。一度聞いた話をアウトプットするために、脳は一生懸命記憶を定着させる。新しい記憶は既存の記憶と組み合わさり、ひらめきをもたらす。教える時は、テスト、理解した成果の発表会、質問会といったアウトプットの場を設けるのが望ましい。それが脳へのプレッシャーになり、学習効率が高まる。
(4)教える前にミッションを与える□□□
「教わったことを使って、何かをしなくてはならない」という明確なミッション(目的)があれば、人は一生懸命理解しようと努める。ミッションが明確でないと、目的意識がどうしても低くなり、教わったことを必死で覚えようという意欲がわきにくくなる。たとえば、「チームリーダーになってメンバーを率いる」などとミッションを明確に与え、そのために必要なことを教えるといった具合に進める。
(5)たくさん質問する□□□
学習効果を高めるためには、うまく質問をすることが欠かせない。質問に答えることで、脳は記憶を定着させようとするからである。「なぜ、そうなっているのか」「それがない場合はどうなるのか」「なぜ、その仕組みが必要だったのか」といった質問を繰り返すことで、理解につながっていく。
(6)自分が教わったことを整理して他のメンバーに教えてもらう□□□
脳はアウトプットの際に記憶を整理して定着させる。このため、学んだことを他人に教えるのは記憶を定着させるために効果的な方法といえる。
(7)「なぜ、そうなっているか」を徹底的に考えさせる □□□
脳は目的を強く意識することで活性化する。このため、「どうしてそうなのか」を考えながら理解させる必要がある。
(8)考えたことを紙に書かせる □□□
テキストを読んだり、単に聞くだけでは理解は深まらない。読んだこと、聞いたことを頭で考えてもらい、さらにそれをホワイトボードや紙に整理してもらうようにするとよい。
(9)毎日継続的に教える □□□
教える行為は、短い間隔で定期的に実施しよう。1日や2日を丸々費やして教えても、あまり効果は上がらない。考えたり、理解したりする行動が習慣化されないからである。習慣化するためには、毎日継続して教える必要がある。それによって新しい知識や仕事のやり方に慣れていく。毎日5分でもいいので継続的に教えるよう心がけたい。
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「これがあれば、正しく教えることができるようになるだろう。こういったことは、上司から部下に伝えていくべきものと思うが、俺はもう会社で真田に教えることはできない。だからこの店で、できる限り真田に仕事の基本を教えようと思う。
高田さん、もしよければ、これからもこの店に顔を出せばいい。そうすれば、あなたにも役に立つかも知れない。」
マスターはそう言って、寝ている真田氏を起こして、タクシーに乗せに店を出ていった。
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店に一人残った僕は、真田氏は幸せだと思った。マスターは今も真田氏を面倒見ている。昔のことを今でも気にしている。真田氏を心から思っている。そう思うと非常に気持ちが高ぶった・・・マスターは、真面目で優しい人だと思った。
僕は、そんなマスターがとても好きになっていく・・・そういう感じがしたのだった。(次回に続く)
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