*1*
大学で一緒だった連中と久しぶりに本郷で飲んだ。だが、2次会できたバーがちょっと酷い。バーの従業員はマスター1人だけだし、それがものすごく無愛想で態度が悪い。
普通、バーなら最低でも2人くらいのバーテンがいて、客に愛想良くすると思うがこのバーはちょっと違う。
僕は自分のイメージと異なるものは苦手だ・・・たとえば仕事。上司は部下の弱いところを補ってくれるもの、部下がピンチのときには必ず助けてくれるものだ。僕はそういう当たり前の感覚な上司、先輩の下で仕事をしてきた人間で、それが普通だと思う。
だから、僕はそういう感覚とは違う、かけ離れたものに対して酷く消極的であり、直感的に好きになれないところがある・・・
そういったことを考えながら「ニッカの余市」を一気に空にした。この酒は飲みやすい。さわやかな香りで喉を通りやすい。何杯でもスイスイ飲めてしまう。
マスターは手際よく新しい水割りを用意しながら岡崎と楽しそうに話す。マスターは無愛想だが、岡崎とは気が会うようでちゃんと話しをしている。
「マスター、今日は?」岡崎がねだる
マスターは奥から何か取り出してきて僕らの前に差し出した。それは秋田の「いぶりがっこ」というものだという。見た目は沢庵みたいで、口に近づけると燻した強い匂いがする。
食べてみると、味はスモークチーズに近い。昔、秋田では囲炉裏の火で大根の水分を飛ばしてそれを漬物にした。「がっこ」とは漬物のこと。だから「燻したがっこ」で「いぶりがっこ」。
マスターの態度は不味いが、「いぶりがっこ」は美味かった。マスターが全国から選んだ名物をつまみにだしてくれる・・・岡崎が言っていたのは本当だったと思った。
ちなみに、僕は名物が好きである。北海道なら毛ガニ、タラバ、時知らずの鮭、イクラの醤油づけ、ホタテ、ジンギスカン、小樽の寿司、旭川のラーメン、札幌のラーメン。秋田なら比内鳥、きりたんぽ、ハタハタ。富山ならほたる烏賊に氷見の寒ブリ・・・
愛想はないけどこの店のコンセプトは嫌いじゃない。マスターを少し見直した。
*2*
「マスター、最近お客は?」
岡崎が聞く。
「駄目だな。本郷には企業が少ない。こんなところに酒を飲ませる店を出す事自体が間違いだ」
「なら、もっと会社員の多い場所でやればいいのに」
岡崎が突っ込む。
いつの間にかマスターはグラスをもっている。店は薄暗いから、入っているのが酒なのか、どうなのかは分からない。よく見ると、茶色い色のものを飲んでいるようだ。
普通、バーの店員は客の前で酒を飲むのかは分からない。でも、常識的には飲まないのではないかと思う。
「そういうところは家賃が高い。競争も激しいから駄目だな。」
マスターはそう言うと、一息でグラスを空けた。
「でも、本郷も駄目なんでしょう?」
僕が言うと、マスターはあきれたように言う。
「本郷は店が少ないし、この店の家賃はそんなに高くないからな・・・そもそも、オーナーが本郷がいいって言うから仕方がない」
本郷はバーをするにはあまりよい場所ではないらしい。学生街で夜には人がいないというのがその理由だ。それから、マスターは、この店に客があまりこないこと、来てもウイスキーオーダーしないことに文句を言い出した。
ウイスキーを売りにしても、それに客が気付かず、カクテルを注文されることが辛いという。
「でも、メニューにはカクテルがあるじゃないですか?」
「本当は置きたくない。けどオーナーが置けっていうから・・・僕はウイスキーの店をやってる。ウイスキーはシングルモルトだろ」
マスターはさっきから、グラスのものをグイグイ飲んでいる。目つきが少し怪しくなってきた・・・やっぱりグラスの中身は酒だった。そのせいで、マスターはだんだん饒舌になって良くしゃべるようになった。店に入ったときとは豪く違う。
この人は酒が入ると明るく陽気になる人だな・・・そう思った。
*3*
マスターは明るくなってくると、いろいろな話をした。経済問題、教育問題、雇用問題などを話した。この人はどんな問題でも意見を言える。相当勉強している感じだ。特に記憶に残っているのは、派遣社員問題だ。これは面白かった。
「ねえ、高田さん、派遣会社の人材に関する問題点が分かる?」
マスターは僕に質問した。この頃は、人材派遣が社会問題になっていた。岡崎からマスターはいろいろなことに薀蓄があると聞いていた。僕は幅広い社会問題には疎いので、逆に質問を返した。
「僕には全然見当も・・・マスターの考えは?」
「駄目だな。まったく駄目。」
首を大きく振って話している。もうかなり酔っ払っている。マスターは続けて言う。
「派遣社員だって仕事をしながらいろいろ教えてもらって成長するんだ。でも、派遣社員は派遣先企業では育ててもらえない。派遣先の企業は、自分のところの社員と派遣社員を区別するんだ。
では、誰が派遣社員を育てる義務があるか・・・それは派遣元の企業だ。派遣元の企業が金をかけて派遣社員を育てなくてはならない。そうしないと、日本の労働者の多くを占める派遣社員のスキルの底が上がらない」
僕は黙って聞いていた。
「でもね。人材派遣会社はそんなことにあまり金を使わないんだ。なあ、高田さん、人材派遣会社の「仕入れのための工夫」ってどういうことか分かる?」
「質問の意図が良く分からないですよ?」
「だから、人材派遣会社のビジネスモデル。どういうことに気をつけて商品を仕入れて、収益をより得ているのか・・・それを考えてみて。」
「派遣社員にできるだけ多く給与を払う?」
「違うな。本社は駅に近い便利で綺麗なビル。新宿、丸の内、渋谷、恵比寿あたりだな。本社内勤のスタッフ・・・これは、派遣社員の世話をする純粋な派遣会社の内勤だ。
この内勤と派遣される社員は全く扱いが異なる。内勤社員は美人にイケメン。ちょっと名の知れた派遣会社にいってみろ、そりゃ、ビルは綺麗で内勤の男女はカッコいい。」
僕はマスターが何を言いたいのかよく分からなかった。
「人材派遣会社の商品は何か分かるか?」
マスターは続けた。
「人だよ、人。派遣社員自体が商品なんだ。派遣会社は特殊だ。派遣社員は労務管理すべき社員であって、さらに売るべき商品なんだ。」
僕には何のことかさっぱり分からない。
「難しいか・・・派遣会社は人を派遣して利ざやを稼ぐ、つまり、できるだけ派遣先で使える人がいい。商品として優れている人がほしいんだ。それには、できるだけ優秀な人に来てもらう必要がある。
つまり,派遣会社はたくさんあるから、自分のところに来てもらうたための付加価値がいるということだ。
派遣社員の多くは若い独身の女性だから、彼女らの好むオシャレなビルが必要になるわけだ。
さらに、派遣社員として働く多くの女性は東京でなく、近郊から面接にくる。だから、ターミナル駅の綺麗なビル・・・新宿、渋谷、丸の内に人材派遣会社は本社をかまえてる。
最後に内勤だ。派遣社員の若い子が好むカッコいい女、男に担当させる。それで、がっちり気持ちを掴む作戦だ。
派遣社員は、いつでも別の会社に移れるからな。よい商品でも、ちょっとサービスが悪いと他所に行かれる。これが派遣会社のつらいところだ。
まったく本質ではない。表面的なところばかりに気を使っているんだ。駄目だな。そういうビジネスモデルでは国が滅ぶ。もっと若い人材を真剣に育成する努力をしなければならないのに、表面的なことばかりだ。」
マスターは熱くなって話を続けている。なるほど、人材派遣とはそういうものかと勉強になった。でも、ちょっと嫌な物言いだし、だんだん悪口っぽくなって酷くなってきた。
「国が滅ぶ」とまで言われたときにはちょっとあきれてしまった。バーのマスターのくせに国を語るその大業な言いぶりにやや腹がたってしまった。
確かに、マスターの言う面もあるかも知れないが、すべての派遣会社が、そんなふうに人を商品として扱っているような言い方は気分が悪い。これはマスターの偏見だ。
「ちょっと言いすぎ。違うと思いますよ。」
「違わない。それがビジネスモデルだからな。それを見誤ると無駄に経営資源を使うことになる。まあ、ちょっと高田さんには難しいかも知れないな。」
マスターは僕を諭すように言った。僕は馬鹿にされたようで気分が悪くなった・・・でも、飲んでいたのですぐ忘れた。
*4*
それからいろいろマスターと話をした。転勤してきたこと、転勤前の僕のこと、今の上司のこと、今の仕事のこと、文章のこと、これからのことなど。
僕はかなり会社の不満や愚痴をいったかも知れない。でも酔っていたので良く覚えていない。まあ、話したといっても所詮はバーのマスターだから、特に困ることもないと思ったのは確かである。マスターは「うんうん」と聞いていて、よく質問をしていたように思う。
ふと我に帰って時計を見た。12時40分で、もう夜中を過ぎている。隣りが静かだと思ったら岡崎はカウンターに突っ伏して眠っている。もう、帰らないといけない時間だ。今日は岡崎の部屋に泊まることになると思った。
「そろそろ帰ります。」
僕はお勘定をお願いした。ふらふらしたが何とか財布からお金を出して払った。支払が済んで階段を登ろうとしたとき、マスターが後ろから何か声をかけてきたが、何を言っているか分からなかった。
「何ですか?」
僕は振り返って、もう一度マスターに言ってほしいとお願いした。
それまで酔っていたと思ったマスターがこのときは真顔だった。
「ちゃんと今に向き合わないといけない。過去にしがみつくことが一番怖い。」
そのときは酔っていたからよく理解できなかった。でも、この言葉は重かった・・・酔いが覚めてから、頭の中でぐるぐる回ってしまうようになった。
「今に向き合う、過去にしがみつく。」
この言葉が、この後しばらく頭から離れなかった。(次回に続く)
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